梅がスーパーに並ぶ時期になると、祖母と一緒に梅干しを作っていたのを思い出す。
我が家の梅干し作りはかなりの大仕事だった。
なんせ一番多い頃は13kgもの梅を漬けていたのだから。
母はこういった作業が大嫌いなので、祖母が元気な内にたくさん漬けておいてほしいと頼んだためだったのだが、おかげ様で、祖母が亡くなって7年ほど経つが、まだ一緒に作った梅干しを食べている。
梅干しを作る話に戻ろう。
13kgの梅と言っても、漬ける手順は何も変わらない。
買った梅をまずは部屋に広げて追熟させる。
祖母が寝室にしている和室に新聞紙を広げて重ならないように梅を広げていたのだが、ベッドへの通り道を残して梅で埋め尽くされた様子は今思えば結構シュールだ。
この作業をしたことがある方はお分かりかと思うが、梅は熟してくると桃に似た甘い香りがするようになる。
なので、追熟が進んできて香りが立ってくると、用もないのに祖母の部屋を覗いて香りを楽しんでいた。
梅が熟したら塩漬けにする。
まずは水洗いし、カビないように水気をしっかりとふき取りながら、ヘタを爪楊枝で取る。
これを梅13kg分…Lサイズの梅を使っていたので、数は300~400個程度だったと思うが、なかなか大変な作業だった。
我が家は基本的には梅のみを漬けていて、赤紫蘇は漬けていなかったが、私が子供の頃は赤紫蘇も一緒に漬けていた時期があり、梅に加えて、赤紫蘇も洗っていったん水分を取り、塩でもんで絞って…という作業をした記憶がある。
大阪に住んでいた祖母の姉も泊りがけで遊びにくるついでに手伝ってくれて、一家の女手総出(と言っても4人だが)の大仕事だった。
塩漬けの作業が終わると、干すまでは祖母がカビが生えたりしていないか様子を見るだけなので、平穏だ。
ただ、一時期、塩分濃度をギリギリまで下げて(最終8%くらいまで下げていた)漬けていた頃は、毎日気を付けていないとカビが広がってしまうようで、祖母は大変だったようだ。
カビが頻発してしまった年以降は、塩分は15%前後で漬けていたと思う。
標準は20%程度なので少しだけ減塩。
ちなみに、塩分濃度を下げるとかなり酸っぱい梅干しが出来上がる。
実は、私は作った梅干しをあまり食べないのだが、この酸っぱさが少し苦手だから。
梅の風味は大好きなのだけれど。
塩漬けした梅を干す作業、これがまた一苦労だった。
土用干しと言って、7月20日前後の土用の丑の日頃、梅雨明けして晴れ間が続く3日間で天日干し、そのあとさらに3日間、夜干しする。
太陽が山端から顔を出す頃に、庭に干すための台と竹の網かごを用意して、梅を一粒一粒、わずかに隙間を空けて並べていく。
昼頃にはまた一粒一粒、ひっくり返す。全体をまんべんなく太陽の光に当てるためだ。
実は早起きがとても苦手な私は、朝はなかなか起きられず、祖母が梅を並べ始めた頃に起きて、慌てて並べるのを手伝ったものだった。
ひっくり返す作業は真っ昼間の暑い時間での作業なので、祖母と二人、麦わら帽子を被って無心に作業していた。
学生の頃は朝も昼も手伝えたが、社会人になってからはそうもいかず、祖母がほぼ一人で作業してくれていた。(母は昼の作業だけは手伝っていたようだが)
天日干しが終わると夜干し。
これは夜露にあてて梅の皮を柔らかくする工程だそうなのだが、夜、寝ている間に干しっぱなしにするので、雨が降らないことを祈って寝なければならなかった。
(祖母曰く、夜露にあてるには軒先ではなく、庭木の近くに置いておかなくては、ということだったので、屋根のある場所ではなくあえて庭の真ん中に干していたので)
幸い、というべきか、祖母は庭に面した和室を寝室にしていて、夏場は風を通すために網戸にして寝ていたので、雨が降ると取り込んでくれていたようだ。
こうして干していると時々、つぶれ梅ができた。
よく熟した梅を漬けていると、干すときに出し入れする衝撃で皮が破れて中身の柔らかい部分が露出してしまう。これをつぶれ梅と祖母は呼んでいて、そのまま他の梅干しと一緒にしてしまうと他の梅干しまでダメになると言って、それだけは取り分けて食卓に出される。
出来上がった梅干しとは違って、塩分が抜けていないのでかなり塩辛いが、梅そのものの酸味と甘みが少し残っていて、これはこれで美味しいのでちょっと楽しみだったのを覚えている。
苦労して干し終えれば、あとは清潔な瓶に詰めて置いておくだけ。
(梅酢は別にして、料理に使ったりしていた)
毎年大量に漬けていたので、だいたい食べ始めるのは数年後。
その方が酸味もまろやかになり、より美味しいのだ。
こうして作った梅干しは、あと2年分は残っている。
全部食べ切ってしまったら、また漬けてみようか。
祖母のことを思い出しながら。