カナメの日常

「人生は日常と非日常のバランスが大切」が持論のカナメがなんとなく考えていることの記録。

祖母と私2 「お風呂」

祖母との生活は、お風呂の時間が一番長かったように思う。

 

それは長風呂だったという意味ではなく、ほぼ毎回、一緒にお風呂に入っていたからだ。

 

祖母は70歳くらいから関節リウマチを患っていて、手、手首、膝の関節が腫れて痛むことが多かった。

もちろん薬は飲んでいたが、症状には波があり、酷い時には1日寝ていることもあった。

 

関節リウマチは、若い時に発症すると進行が早く、場合によっては寝たきりになることもあるらしい。

 

祖母は不幸中の幸い、発症が70歳を過ぎていたこともあり、また、色々な薬を試して、ある程度効果のある薬に辿り着いたことも良かったのか、最後までリウマチのせいで寝たきりになることはなかった。

 

ただ、発症当初から手の関節の変形が酷く、思うように力が入らなかったために、お風呂で自分の頭や背中を洗うことができない、また、湯舟に浸かるときにも、しっかりと身体が支えられないことが問題であった。

 

そのため、一緒にお風呂に入って頭や背中を洗い、湯舟に浸かるのを誰かが手伝う必要があったので、それが私の役目となったのだ。

 

1回、40分~1時間程度だったろうか。

今思えば、毎日のようによくやっていたなと思うが、不思議と「面倒だな」と思ったような記憶はない。

 

そもそも、私がもっと小さな頃、まだ一緒に暮らしていない時も、遊びに行けば一緒にお風呂に入っていたし(祖母の家のお風呂は一部増築しており、広かった)その当時も、頭を洗ってあげていたことは覚えている。

 

そう、我が家では一緒にお風呂に入ると、頭と背中は洗ってあげるのだ、という不文律があったように思う。

 

子供の頃、祖母の家でのお風呂は祖母と母と私で入っていたが、祖母のも母のも洗ってあげていた記憶がある。

 

子供は普段しないことが楽しいもので、人の頭を洗うことは、遊びの延長だったようにも思うし、喜んでもらえるが嬉しい、という気持ちもあったように思う。

 

そういうわけで、さほど抵抗なく、祖母とお風呂に入る習慣は私の生活に組み込まれていった。

 

ただ一緒に入る、というと仲が良い家族という感じがするが(実際仲は良かったが)実は、私が先に入り、湯舟に浸かって自分の頭を洗ったところで、祖母を呼ぶ、という手順が決まっていた。

 

片方が湯舟につかっている間に、片方が洗い場を使い、その後、洗髪してあげて…と、スムーズに入浴するための、マニュアルみたいなものだ。

 

気が向けば身体を洗いながら話もするが、私も祖母もそんなに口数の多い方ではないので、ただ黙々と入浴していた気がする。

 

でも、それが生活の一部で、気まずいこともないし、穏やかな時間だった。

 

だからこそ、ずっと一緒に入れていたのだろうと今では思う。

 

 

祖母との、なんでもない日常、でも大切な思い出。